2016/08/11

民族音楽 20年の変化


人類の文明にとって18世紀の産業革命と同じくらいインパクトがあるというIT革命。
インターネットや携帯電話がまだ身近ではなかった1990年代から暮らしは大きく変わった。それは当然、日本において外国の民族音楽をとりまく状況にも大きな影響を及ぼした。

僕がアンデス音楽やアイリッシュを演奏し始めた1990年代後半、インターネットはまだそこまで一般的ではなかった。日本のYahoo!はサービスを始めた頃で、まだ白黒画面の掲示板も盛んだった。PHSでさえ、持っていない人が多かった。

1980年代からのフランスやイギリスでのワールドミュージック(世界の民族的なポップスや伝統音楽)の流行の影響で、日本でもケルト音楽や中国音楽など世界の音楽の小さな流行があり、当時まだ勢いがあったタワレコやHMVといったCD店には広い民族音楽CD売り場が設けられていた。演奏家や評論家が書いた伝統音楽の紹介本が次々に出版されたのも90年代後半だ。

ビジネスの世界では良い情報を持った人が勝つ。地価や株価の取引はもちろん、外国の最新の流行だとか、新しい技術もそうだ。それは民族音楽でも同じだ。当時、民族音楽の本当の姿について深く知ろうと思えば、外国語の文献を苦労して手に入れて読むか、留学したりフィールドワークをするしかなかった。
だから、その国の音楽家を知っているとかその国で音楽活動をした人が苦労して知り得た情報には価値があり、それをお金に換えることができた。
つまり本を出したり、コンサートで紹介したり、CDに解説を書いたり、現地からの音楽家を呼んでコンサートを企画したりすることだ。

その音楽が好きな人は情報に飢えている。ネットの掲示板で不確かな情報を交換している人にとって、価値のある情報を持っている人は神様だ。
だから、情報を持っていた人にはお金が集まり、その人の言動には信頼と価値があるとされ、権威を持つようになった。
海外では常識のことでも、ちょっと話すだけで聞いた人は目を見開いて喜んだし、レッスンでエラそうなことも言えたのだ。

それから20年が経ち、世の中は変わった。海外の音楽家が自らSNSで日常を配信し思いを伝え、YouTubeやiTunesで時差なく音楽家からリスナーに直接、音楽が届けられる。海外旅行の障害は減り現地に気軽に音楽を聴きに習いに行ったり、音楽家がプライベートな旅行で来日することも簡単になった。情報はこちらから制限しなくてはならないほど溢れている。日本の音楽家が海外の音楽家と一緒にCDを作ったりコンサートすることも簡単になった。
情報のインフレで、情報の価値が下がり、かつて情報をもとに仕事をしていた人は成り立たなくなった。その上、その人の音楽が海外の音楽家と同じ物差しで評価にさらされるようになった。日本だとか日本語だとか関係なく、その人の音楽そのもので勝負しなくてはならなくなったのだ。

リスナーや演奏家を志すものにとって、なんと幸福な時代だろう。そして、一世代前の民族音楽家はそのままでは厳しい戦いを強いられることになった。

変化を正しく認識して、壇上から降り謙虚に若い音楽家や海外の音楽家とともに歩んでゆける人が、生き残って行けるのだ。