2016/10/22

生きることについて

昨日は一人娘の18歳の誕生日だった。
18歳と言ったら、もう大人だ。運転もできるし、結婚もできるし、最近は投票もできる。僕とお酒を飲むことができないのだけが残念だ。お互いにここまで元気にすごせたことに感謝しているし、ちょっと気持ちが軽くなったような感覚もある。

最近、悲しい自殺や事故死の話を聞く。人は結構簡単に死んでしまうものなのだと思う。生きるということは1つしかないのに、死ぬ方法ならいくらでもあるよな、などと、おかしな屁理屈を考える。だから、自分もあなたもあの人も生きていることは奇跡的だと思う。

もう少し若いころ、僕も死を意識したことは何度かあった。今思えば何をそんなに悩み苦しんでいたのか思い出せないくらいだけれど、とても苦しかったことは覚えている。一つ言えることは、あの日、死ななくて良かった、ということに尽きる。なぜなら今こうして人生を楽しむことができるのは、生きているからだ。

苦しくて心身が弱っている時、死は甘美で、もっともマシな選択肢で、救いにさえ見える。死の誘惑に取りつかれると、毎日そのことばかり考えるようになる。
あのとき一線を越えていれば、もし、アルコールを大量に飲んで正常な判断能力を失っていれば、そして痛覚神経が麻痺していたら、今ここにいなかっただろう。

あれから良いことも悪いこともいくつもの経験をし、少々のことでは動じなくなり、あの頃のことを思えば何事もたいしたことではないと思えるようになった。孤独感や不安感に鈍感になり、人生のすべては自分の責任と自由であると思うまでに強くなった。この先何があっても、あの時のように苦しむことは、おそらくないだろう。

死を選ばなかったあの日から、自分は夢の中を生きているのではないかと時々思う。本当はあの時死を選んでいて、気を失って長い長い夢の中にいる。眼が覚めるとあの日のあと時に帰っているが、もう手遅れになっている、そんな妄想をした。

致命的な事故や病気や犯罪から生き延びた人は、その後の人生を神様からの贈り物だと思って大切に生きるそうだ。良くわかる。自分も今の人生をボーナスステージだと思っているし、そう思えば、何が起きても怖くないと腹をくくって生きていられる。

早まらなくても誰もがいつかはこの世から別れる運命にあるのだから、大切に生きたいし、周りの人は大切に生きてほしい。早まらなくても、死はあちらからやってくるのだから。

あなたがいまどんなに悩み、苦しみ、困難な状況にあっても、生きている限り絶対に状況は変わる。変わらないことなど、この世に何一つとない。誓ってもいいが、10年後の今日、今と同じことで悩んでいる確率はセロだ。

会社が潰れた、不倫がバレた、悪事に手を染めた、いじめられて孤立している。とてもしんどいと思う。でも時間をやり過ごせば絶対に状況が変わる。そういう時はよく寝て、美味しいもの食べて、楽しいことをしてほしい。

僕は今のオマケの人生は誰かのために生かされているのだと思っている。だから自分が成功することよりも人に喜ばれ、人の役に立ち、人のためになる生き方をしたいと思う。それがいつ死んでも後悔がない生き方だからだ。

もしあの時の自分のように苦しい思いをしている人がいれば、いや、あの時に僕に言ってあげたい。生きてさえいれば、絶対に良くなるし、いつかは生きていて良かった思う日が絶対に来る。僕が言うのだから間違いない。

2016/10/19

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 以上、お知らせでした。

2016/10/10

音楽を誰から習うか

昨日は、関東から1日レッスンを受講するためにお客様が宝塚の自宅までお越しになりました。

1日レッスンは、遠方の受講生のために用意したプランで、朝10時から夜10時の12時間の間であれば練習し放題で受講料は15,000円です。90分ごとにお茶休憩をして、食事は2食まで提供します。僕が生徒の立場で考えたとき、先生を一人占めできるそんなレッスンが受けられたらよいなあと思って始めました。

このレッスンをこれまで長く続けていますが、遠くは沖縄県、北海道からわざわざお越しになる方もいらっしゃり、思った通り需要はあるようです。

僕のレッスンは、技術を習うのも曲を習うのも、可能な限り細かな要素に分解し、言語化・可視化し、体系だてて教えるスタイルです。楽譜は必要に応じて使いますが、練習時に楽譜を使おうと使わまいと最終的には楽譜なしで出来るようになるまで教え、練習してもらいます。

僕はこれまで何人ものアイルランド人の先生から笛のレッスンを受けましたが、みな例外なく楽譜を使わずに先生のすることをまねさせるスタイルでした。
まったくテクニックの説明や基礎練習をしないで、曲の中でそれを学ばせる先生が多かったです。テクニックについて質問しても、自分が何をしているのか指摘されるまで考えたこともなかった、という風な先生さえいました。この分野には聖典は存在せず、みなが独学なので、先生によって技術用語や方法が様々で初心者は混乱することも多いかと思います。

そのようなスタイルのレッスンを受けるのは僕は好きですが、僕が日本人を教える立場で同じことをすると、うまくいかないことが多かったです。やはり皆さん楽譜を欲しがりますし、技術や音楽知識を噛み砕いて丁寧に説明をすると満足する生徒さんが圧倒的に多いようです。

僕は言語学習が好きなので音楽と言語を結び付けて考えることがあるのですが、僕達が日本語を習得した赤ちゃんのころ、お母さんなりまわりの人が、こちらが理解していようがいまいが日常的に大量に日本語を聞かせていましたよね。僕たちはそうしてネイティブの日本語話者になりました。

ところが中学生になって英語を学習する過程においては、僕たちは教科書を使い、単語や文法や読解や作文やリスニングなど系統だてて体系的に言語を習いました。その結果どれほどの人が英語を習得できたでしょうか。この方法でネイティブレベルに到達するには途方もない時間と労力が必要になるため、学校の学習では到底足りません。

それらの細分化された要素をレンガのように積み重ねることによってネイティブに限りなく近づいてゆくことは可能ですが、学習を続けていると、どうしても越えられない壁があることにも気が付かされます。

例えばそれは文法や単語のミスというよりは、語彙の選択や間の撮り方や抑揚やタイミングといったもっと微妙なことなのかもしれません。外国人の日本語を僕たちが聴いても、こういった基準を持って、彼らがネイティブ話者なのか努力を重ねた外国語学習者なのかを瞬時にしかも正確に区別できます。この違いは、努力では簡単に埋まるものではありません。

「アイルランド音楽を習得したければ日本人に習うな」という言説を見たことがあります。その意味するところは、アイルランドに行って、アイルランド人から習ったり交流する中で学習した方が、おかしな癖や偏見がつかなくて良いということなのでしょう。

伝統音楽においては正統な装飾音、伝統的な音色、リズムが習得できているかどうかが非常に重要で、それは言葉や楽譜を尽くしても習得できません。

音楽も言語のように細かく刻んだ要素で断片的に習うよりも、まるごとの姿まま大量の音楽に触れるうちに、ネイティブの感覚を体得できるのかもしれないという考え方には僕は賛成します。僕達が日本語を母親から習得した時がそうでしたから。確かに、何年もアイルランドに暮らしながら音楽ができる環境が手に入るのであれば、そうしたら良いでしょう。僕もできればそうしたかった。

ですが、僕達大人の学習者、しかも日本に住んで日本語を使って生活をしている人にとっては、短期旅行でアイルランドに行く前に、日本で習えることを習ってからアイルランドに行くことの方が効果は大きいのではないかと思います。

 日本人の先生といっても色々な志向やスタイルの方がいます。僕は楽器の操縦方を習得するために体系だてた学習メソードや合理的・論理的な教え方に強いですが、感覚的な教え方はできません。また、伝統や地域的なスタイルには弱いです。僕だけが最高の教え方だとは思っていませんので、ぜひ色々な先生に会い、話し、自分の要求に見合う先生からレッスンを受けてみてください。