音楽家がどうやって収入を得て、生活を成り立たせているか、というのは一人の音楽家として大変に触れがたい話題だ。
音楽家は音楽を愛して、音楽のために人生を捧げている人種なのだから、お金儲けや日々の生活のことよりも自分の音楽をどう深めていくかに心血を注いでいる。そう、思われているフシもある。
世間は音楽家を僧侶か何かだと思っているのかもしれない。だから、夢を壊すようなことは言ってほしくない。音楽家もそれを敏感に感じ取って、あまり生活臭いことや生々しいことは言うのを避ける。
だけど現実問題、一人の社会人として生活していかなければならない。親にいつまでも頼っているわけにもいかないし、携帯も必要だ。楽器だってお金がかかる。年頃になれば結婚だってしたいし子供だって欲しい。
僕の音楽仲間で、「自分はお金儲けのために音楽をやっている」と放言した人がいた。 その割に全然稼げている様子はなかったけれど(笑)。
反対に、素晴らしい音楽をしているのにお金と潔癖でいたがっている人もいた。
あるいは、自分はO万円以下の謝礼の仕事は絶対に引き受けない、
という人もいた。生活費はアルバイトして稼いでも、音楽は自分だけのものでいたいという人がいれば、どんな屈辱的な仕事でもやるから、音楽以外の仕事は絶
対にしたくないという人もいた。色々な人がいるもんだ。
周りの音楽家を見ると、プロとして活動していても、この業界は全然食えないんだと、つくづく思う(改めて言うけれど、だからといってその人の音楽の価値とは別の問題だ)。
だからみんなレッスンをしたり、CDを売ったり、色々な収入を組み合わせてなんとか続けている。
食えない世界なのに、かたくなに演奏だけで生計を立てようとすると、歪みが出る。
ライブのお客様の顔が1000円札に見えると言った人もいた。ライブでの演奏の良し悪しよりも入場者数で一喜一憂する。ライブ当日に雨が降ると気分最悪に
なる。ライブ会場で食事が出るかどうかを確認せずにはいられない。そうなると、現場が殺伐としてくる。表情に出るし音に出る。
昔、ある先輩音楽家が「あの人は商業主義で音楽をやっている」と他人のことを批判していたが、流行歌を演奏したからと言って稼げる金額など知れている。
ある人は、自分の生徒が他の先生と会ったというだけで無視したりいじわるをしたそうだ。そうやって生徒を囲い込んだって、レッスンできる生徒数には限界がある。 ほかにもライブのチャージバック率がどうとか、CDの販売手数料だとか。
限られた資源を奪い合おうとするから、そうやって気持ちのゆとりがなくなるんだ。
音楽家は演奏の技術や音楽の仕組みは習っても、お金の稼ぎ方は習わない。
だから、自分の能力をお金に変えるのが上手な人がいれば、下手な人もいるんだな。
お金が無いことは不自由だ。
一つはしたいことができないから。
もうひとつは、したくないことをしなければならないから。
僕はどちらもゴメンだ。
それに40歳や50歳にもなって、数千円で傷ついたり傷つけたりするのは大人としてみっともない。そんなことがしたかったんじゃない。
「プロミュージシャン」の定義が「演奏を主たる収入源とするもの」とするなら、それはすごく明快でいい。
だったら僕は必ずしも「プロミュージシャン」でなくてもいいと思う。素晴らしい音楽家ではありたいけれど。
そんなことより、自分が今一番したい音楽をして、ライブの主催者もお客様もハッピーになること。たとえ規模が小さくでも、そのサイクルを回してゆくことが幸せな音楽活動を続けることなんだと思っている。
だから、それを可能にしてくださっている主催者やお客様にはいつも感謝の気持ちを持っていたい。
小さなマーケットの中で、 誰が多く仕事を取ったとかどうとか考えるよりも、マーケットの規模を大きくしなきゃ。みんな食えてないなら、みんなが食えるにはどうしたらいいかを考えたい。
競争力よりも周りの人を応援できる力をつけたいと思うこの頃である。
ブログ毎回楽しみにしております。
返信削除”cannot see the wood for the trees”ですよね。
オカリナとティンホイッスルの考察も非常に興味深かったです。
もっとアイリッシュ・ケルト系音楽が日本で広がっていけばいいなと常々感じております。