誕生日の頃になると、自分の人生や現在地点を振り返る。最近よく思うのは、「人生における無駄な時間」について。
僕は大震災の2011年に、老いも若きも理不尽に亡くなったことを見て衝撃を受けて、儚い人生いつ死んでも悔いがないように生きてきた。ネットで「死ぬときに後悔すること」で検索すると、亡くなる前に人がどんな後悔をするのかを知ることができる。それを見て、後悔することを先にやった。
成長した娘に会った。自転車旅行をした。ヨーロッパを長期旅行した。楽器店を開いた。語学を習得した(来年は留学もする)。本を書いた。大好きな音楽のヒーローを呼んで一緒にツアーした。世界旅行とか、大舞台での演奏とか、会社を大きくするとか、まだまだ叶えたい目標はあるけれど、現状には充分満足している。
しかしもっと早くに目が覚めていれば、もっと早くに今の地点まで来れたと思う。人生は若い頃ほど柔軟で自由で吸収力があるので、若い時間ほど貴重である。
僕がこれまで40年近く生きてきて無駄だったと思う主な時間はこれだ。
(1) 苦手なことを克服しようとした
「好き嫌いなく食べなさい、苦手な人ともうまく付き合いなさい、不得意なことにも挑戦しなさい」と言われる。しかし苦手なことをすると苦痛を感じ、結局は克服できずに苦い思いだけが残ることが多かった。苦手なことを早期に見つけて、それを避けて、得意なことや好きなことに集中するほうが大事だ。
(2)自分とは合わないコミュニティに属した
自分を尊重しない人間関係に身を置いた。何をしても嘲笑われ、誤解された。怒りと悲しみと復讐心で心が黒く汚れた日々を過ごした。それでも、その関係が必要なんだと自分を騙して我慢した。どこかに自分を尊重してくれる人は必ずいるし、自分を必要としてくれるコミュニティはある。早く逃げるべきだった。
(3)人の評価を得るために努力した
人の評価は全くアテにならない。自分が嫌いな人が世間で良い評価を得ることはある。他人の助言は、結果に責任を取ってくれない。自分を曲げてまで人に好かれようとする努力は無駄だ。
(4)異性にモテようとした
人生の大半を「モテる=良いこと」だと思って生きてきたが、性的パートナーシップにおいて大切なのは相性だ。不特定多数の異性に好かれると、それだけ誘惑やトラブルが多く苦労するだろう(僕はモテないから無縁だったが)。それよりも、自分と相性の良い相手を見定めて長期にわたる良好な関係を築くことのほうがよほど大切だ。
(5)終わった恋愛をいじくりまわした
真剣に恋愛をしていれば、別れは死と同じくらい苦痛に感じるものだ。しかし、死んだ人が蘇らないように、終わった関係は戻らない。終わった関係をいじくるのは、墓穴を掘り返すようなものだ。そして関係が終わったことは、誰よりも自分が知っているものだ。
(6)本当は合わないと知っている人と友だちになろうとした
色々な種類の人と付き合えば得することがあるかもしれないという下心で本当は合わないと思う人のために時間を費やした。結局は努力が虚しく疎遠になり関係が消滅した。合わないとわかっている人とは1分も費やすべきではない。
(7)興味がなくなったことを惰性で続けた
読まなくなったのに毎月届く雑誌のように、興味がなくなった習い事、サークル、学問などがある。経済学にはサンク・コストという考え方がある。それまでに投資した時間がもったいないので、惰性で投資を続けてしまうというものだ。捨てなければ新しいものは入ってこない。損切りが重要である。
(8)Noを言えなかった
忙しいときに限ってかかってくる電話のようなものだ。「今忙しいので」の一言が言えなかったばかりに、大事な時間を奪う人がいる。友人や同僚のちょっとした頼み事とか、興味のない飲み会の誘いとか、セールス。Noが言えなければ、それが積もり積もって人生で何日分にもなる。
(9)効率よく学ばなかった
1年で習得できるものに4年も費やした、ということがある。楽器でも語学でも学習は短期集中がもっとも効率が良い。もし英語や中国語の学習方法を工夫したら、きっともっと短時間で今のレベルに到達していたはずだ(だから韓国語は失敗したくない)。そして、適切な人に正しい方法で習うことがもっとも時間とお金の節約になる。
(10)無駄とわかっているものに習慣的に時間を費やした
個人的にはテレビのザッピング、SNS、子供の頃のゲームとアニメ、一人での飲酒など、受動的な娯楽に多くの時間を費やしすぎた。
無駄を省くのは、1分を惜しんでマシンのように勉強や仕事をして大成功し経済的に豊かになるためではない。それではペットを飼うのは無駄かとか、育児は無駄かとか、おかしな議論になる。
経営とは、人・金・もの・時間の有限な資材を最大限の効果を産むように振り分けることだ。人生も、無駄を省いて有意義なことに費やすほうが、幸福だと僕は考える。それが趣味であれ、愛する人との時間であれ、一日の中で自分にとって幸せな時間を増やすことだ。
お金と時間の関係についてはまた語りたいことがたくさんあるけれど、これだけは書きたい。
世の中はお金がなければ時間や体力を使うようにできている(例;新幹線ではなく高速バスに乗る)。時間をお金に換えることは、命を切り売りしていることと同じだ。そして、歳を取ればお金を稼げるようになるかもしれないが、その時に若い時の時間を買い戻すことはできない。
お金だけのために貴重な時間を差し出しているのであれば、それは無駄なことだ。その証拠に金融投資をすればなんの苦労もなくお金が増えたり減ったりするのを知るだろう。お金を稼ぐ=時間や労力を費やすこと、という前提は簡単に崩れ去る。
ある時点から僕は「お金を稼ぐこと」と「仕事」を分けた。仕事とは「自分の才能を生かして世の中に貢献すること」であり、職業ではなく、やるべき人生の事業だ。その時間を確保するために、「お金を稼ぐこと」=職業にはできる限り時間を使わずにすむようにする。極端に言えば寝ていても銀行口座にお金が振り込まれる仕組みを作る。それにより「仕事」ができ、「お金を稼ぐこと」がより効率的になる。歳を取るごとに時間・お金・健康が増えて、思考に囚われが少なくなり、自由が拡大するような生き方が素晴らしいと思う。
最後に、無駄に見えて大切にしていること。
(1)睡眠…最低7時間の睡眠は寿命のためにも必要。
(2)食事のための時間…作るのも食べるのも幸せな時間だし、健康になれる。
(3)運動…駅までの坂道徒歩20分は自分にとっては浪費でなく投資。
(4)家族や好きな人と過ごす時間…このために仕事をしている。
(5)五感で楽しむこと…旅行やスポーツなど
残りの人生を今までより賢明に生きたいと思う。
僕は大震災の2011年に、老いも若きも理不尽に亡くなったことを見て衝撃を受けて、儚い人生いつ死んでも悔いがないように生きてきた。ネットで「死ぬときに後悔すること」で検索すると、亡くなる前に人がどんな後悔をするのかを知ることができる。それを見て、後悔することを先にやった。
成長した娘に会った。自転車旅行をした。ヨーロッパを長期旅行した。楽器店を開いた。語学を習得した(来年は留学もする)。本を書いた。大好きな音楽のヒーローを呼んで一緒にツアーした。世界旅行とか、大舞台での演奏とか、会社を大きくするとか、まだまだ叶えたい目標はあるけれど、現状には充分満足している。
しかしもっと早くに目が覚めていれば、もっと早くに今の地点まで来れたと思う。人生は若い頃ほど柔軟で自由で吸収力があるので、若い時間ほど貴重である。
僕がこれまで40年近く生きてきて無駄だったと思う主な時間はこれだ。
(1) 苦手なことを克服しようとした
「好き嫌いなく食べなさい、苦手な人ともうまく付き合いなさい、不得意なことにも挑戦しなさい」と言われる。しかし苦手なことをすると苦痛を感じ、結局は克服できずに苦い思いだけが残ることが多かった。苦手なことを早期に見つけて、それを避けて、得意なことや好きなことに集中するほうが大事だ。
(2)自分とは合わないコミュニティに属した
自分を尊重しない人間関係に身を置いた。何をしても嘲笑われ、誤解された。怒りと悲しみと復讐心で心が黒く汚れた日々を過ごした。それでも、その関係が必要なんだと自分を騙して我慢した。どこかに自分を尊重してくれる人は必ずいるし、自分を必要としてくれるコミュニティはある。早く逃げるべきだった。
(3)人の評価を得るために努力した
人の評価は全くアテにならない。自分が嫌いな人が世間で良い評価を得ることはある。他人の助言は、結果に責任を取ってくれない。自分を曲げてまで人に好かれようとする努力は無駄だ。
(4)異性にモテようとした
人生の大半を「モテる=良いこと」だと思って生きてきたが、性的パートナーシップにおいて大切なのは相性だ。不特定多数の異性に好かれると、それだけ誘惑やトラブルが多く苦労するだろう(僕はモテないから無縁だったが)。それよりも、自分と相性の良い相手を見定めて長期にわたる良好な関係を築くことのほうがよほど大切だ。
(5)終わった恋愛をいじくりまわした
真剣に恋愛をしていれば、別れは死と同じくらい苦痛に感じるものだ。しかし、死んだ人が蘇らないように、終わった関係は戻らない。終わった関係をいじくるのは、墓穴を掘り返すようなものだ。そして関係が終わったことは、誰よりも自分が知っているものだ。
(6)本当は合わないと知っている人と友だちになろうとした
色々な種類の人と付き合えば得することがあるかもしれないという下心で本当は合わないと思う人のために時間を費やした。結局は努力が虚しく疎遠になり関係が消滅した。合わないとわかっている人とは1分も費やすべきではない。
(7)興味がなくなったことを惰性で続けた
読まなくなったのに毎月届く雑誌のように、興味がなくなった習い事、サークル、学問などがある。経済学にはサンク・コストという考え方がある。それまでに投資した時間がもったいないので、惰性で投資を続けてしまうというものだ。捨てなければ新しいものは入ってこない。損切りが重要である。
(8)Noを言えなかった
忙しいときに限ってかかってくる電話のようなものだ。「今忙しいので」の一言が言えなかったばかりに、大事な時間を奪う人がいる。友人や同僚のちょっとした頼み事とか、興味のない飲み会の誘いとか、セールス。Noが言えなければ、それが積もり積もって人生で何日分にもなる。
(9)効率よく学ばなかった
1年で習得できるものに4年も費やした、ということがある。楽器でも語学でも学習は短期集中がもっとも効率が良い。もし英語や中国語の学習方法を工夫したら、きっともっと短時間で今のレベルに到達していたはずだ(だから韓国語は失敗したくない)。そして、適切な人に正しい方法で習うことがもっとも時間とお金の節約になる。
(10)無駄とわかっているものに習慣的に時間を費やした
個人的にはテレビのザッピング、SNS、子供の頃のゲームとアニメ、一人での飲酒など、受動的な娯楽に多くの時間を費やしすぎた。
無駄を省くのは、1分を惜しんでマシンのように勉強や仕事をして大成功し経済的に豊かになるためではない。それではペットを飼うのは無駄かとか、育児は無駄かとか、おかしな議論になる。
経営とは、人・金・もの・時間の有限な資材を最大限の効果を産むように振り分けることだ。人生も、無駄を省いて有意義なことに費やすほうが、幸福だと僕は考える。それが趣味であれ、愛する人との時間であれ、一日の中で自分にとって幸せな時間を増やすことだ。
お金と時間の関係についてはまた語りたいことがたくさんあるけれど、これだけは書きたい。
世の中はお金がなければ時間や体力を使うようにできている(例;新幹線ではなく高速バスに乗る)。時間をお金に換えることは、命を切り売りしていることと同じだ。そして、歳を取ればお金を稼げるようになるかもしれないが、その時に若い時の時間を買い戻すことはできない。
お金だけのために貴重な時間を差し出しているのであれば、それは無駄なことだ。その証拠に金融投資をすればなんの苦労もなくお金が増えたり減ったりするのを知るだろう。お金を稼ぐ=時間や労力を費やすこと、という前提は簡単に崩れ去る。
ある時点から僕は「お金を稼ぐこと」と「仕事」を分けた。仕事とは「自分の才能を生かして世の中に貢献すること」であり、職業ではなく、やるべき人生の事業だ。その時間を確保するために、「お金を稼ぐこと」=職業にはできる限り時間を使わずにすむようにする。極端に言えば寝ていても銀行口座にお金が振り込まれる仕組みを作る。それにより「仕事」ができ、「お金を稼ぐこと」がより効率的になる。歳を取るごとに時間・お金・健康が増えて、思考に囚われが少なくなり、自由が拡大するような生き方が素晴らしいと思う。
最後に、無駄に見えて大切にしていること。
(1)睡眠…最低7時間の睡眠は寿命のためにも必要。
(2)食事のための時間…作るのも食べるのも幸せな時間だし、健康になれる。
(3)運動…駅までの坂道徒歩20分は自分にとっては浪費でなく投資。
(4)家族や好きな人と過ごす時間…このために仕事をしている。
(5)五感で楽しむこと…旅行やスポーツなど
残りの人生を今までより賢明に生きたいと思う。
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