<また長文エッセーを連発しました、しかも毒を吐いていますから、読みたい人だけ読んでください>
池田市のレストラン「ばんまい」での月例コンサートは特別だ。自分達演奏家が楽しむことを第一目的にし、お客様とその時間を共有するという信念でもう5年くらい続けてきた。
入場料をいただくコンサートであればお客様に楽しんでもらえるように入念に選曲やリハーサルをし、曲についてお話をする。
一方で「ばんまい」は入場無料・入退出自由で、解説は一切せず、リクエストにも応じず、一般的に知られた演奏することもない。
演奏者とお客様は自由で対等な関係において音楽を共有する。お客様は他人の音楽鑑賞に迷惑をかけなければ、何をしながら聴いても良い。お客様が自分たちの音楽を気に入ったらチップをいただくこともある。
自由だから思いつきで好きな曲を打ち合わせなく演奏したり、昔のレパートリーや初めて人前に出す新曲を披露することもある。不安定でリスクが高いが、新鮮で自分たちが飽きない。
ところで先日ジャン・ミシェルさんの音楽について、コンサート会場のオーナーから「わかりやすい説明がほしい」とのご要望をいただいた。
お客様が知っている「アイリッシュ」や「タイタニックの音楽」とは関係があるかと問われたが、彼らはそういったものとは関係がないため「ケルト音楽の最高峰デュオが初来日」とだけ説明して頂いた。
音楽は頭で聴くものではないので、聴いてもらえば感動していただける自信はあるのだが、人は頭で理解して初めて行動するものなので、わかりやすく説明しないと来てもくれない。歯がゆい。
ジャンミシェルさん達は伝統音楽を演奏するので、コンサートでは自分たちブルターニュ人のルーツや音楽の背景について説明をしてくれた。それで音楽への理解や想像の手がかりを得られたとお客様からは好評だった。
しかし彼らの音楽は伝統音楽を素材にしながらも極めてユニークな発想と高度な演奏技術によって、全く説明不要な域に達していたし、仮に説明が一切なくても、その素晴らしさは必ず伝わったと信じている。
あるイベント主催者は、プログラムの半分をお客様が知っている曲にしてほしいと演奏家に要求するそうだ。お客様をバカにするんじゃないと思う。それは「どうせ塩と砂糖をまぶして味の素を振っておけば美味いと思うんだろう」とお客を甘く見ている料理人のようなものだ。そして、こんなことを言うなんて、信念を持って活動している演奏家に失礼極まりない。
ジャンミシェルさんの音楽を見て、僕は心に誓った。いつかあの「説明不要」な域に達したい。僕は僕だ。僕の音楽は僕の音楽だ。
僕はアイルランド人演奏家でも、ケルト音楽や北欧音楽の紹介者でもない。「ケルトの風」とか銘打ったコンサートに呼ばれて「ダニーボーイ」をG調で「AABB、AABB+リフレイン」で演奏するのは恥ずかしい。酒と縁を切ったのに「アイルランドは酒場の音楽」と言ってダンス曲を連発するのも性に合わない。
お客様に歩み寄って誰にでもわかりやすく音楽を伝えるのは、レッスンやレクチャーや教本や「ケルトの笛屋さん」のホームページで充分やっている。
hatao & namiでは、説明ができない音楽をやる。心に深く届き、わけもなく泣きたくなるような音楽を目指す。個人的な体験や思いを語り、演奏する。それを聴きたいと思う人に、誠実に音楽を演奏したい。
誕生日を迎えて人生残り少なくなってきたのだから、大好きな音楽くらい、好きなことをさせてほしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿