昨日は一人娘の18歳の誕生日だった。
18歳と言ったら、もう大人だ。運転もできるし、結婚もできるし、最近は投票もできる。僕とお酒を飲むことができないのだけが残念だ。お互いにここまで元気にすごせたことに感謝しているし、ちょっと気持ちが軽くなったような感覚もある。
最近、悲しい自殺や事故死の話を聞く。人は結構簡単に死んでしまうものなのだと思う。生きるということは1つしかないのに、死ぬ方法ならいくらでもあるよな、などと、おかしな屁理屈を考える。だから、自分もあなたもあの人も生きていることは奇跡的だと思う。
もう少し若いころ、僕も死を意識したことは何度かあった。今思えば何をそんなに悩み苦しんでいたのか思い出せないくらいだけれど、とても苦しかったことは覚えている。一つ言えることは、あの日、死ななくて良かった、ということに尽きる。なぜなら今こうして人生を楽しむことができるのは、生きているからだ。
苦しくて心身が弱っている時、死は甘美で、もっともマシな選択肢で、救いにさえ見える。死の誘惑に取りつかれると、毎日そのことばかり考えるようになる。
あのとき一線を越えていれば、もし、アルコールを大量に飲んで正常な判断能力を失っていれば、そして痛覚神経が麻痺していたら、今ここにいなかっただろう。
あれから良いことも悪いこともいくつもの経験をし、少々のことでは動じなくなり、あの頃のことを思えば何事もたいしたことではないと思えるようになった。孤独感や不安感に鈍感になり、人生のすべては自分の責任と自由であると思うまでに強くなった。この先何があっても、あの時のように苦しむことは、おそらくないだろう。
死を選ばなかったあの日から、自分は夢の中を生きているのではないかと時々思う。本当はあの時死を選んでいて、気を失って長い長い夢の中にいる。眼が覚めるとあの日のあと時に帰っているが、もう手遅れになっている、そんな妄想をした。
致命的な事故や病気や犯罪から生き延びた人は、その後の人生を神様からの贈り物だと思って大切に生きるそうだ。良くわかる。自分も今の人生をボーナスステージだと思っているし、そう思えば、何が起きても怖くないと腹をくくって生きていられる。
早まらなくても誰もがいつかはこの世から別れる運命にあるのだから、大切に生きたいし、周りの人は大切に生きてほしい。早まらなくても、死はあちらからやってくるのだから。
あなたがいまどんなに悩み、苦しみ、困難な状況にあっても、生きている限り絶対に状況は変わる。変わらないことなど、この世に何一つとない。誓ってもいいが、10年後の今日、今と同じことで悩んでいる確率はセロだ。
会社が潰れた、不倫がバレた、悪事に手を染めた、いじめられて孤立している。とてもしんどいと思う。でも時間をやり過ごせば絶対に状況が変わる。そういう時はよく寝て、美味しいもの食べて、楽しいことをしてほしい。
僕は今のオマケの人生は誰かのために生かされているのだと思っている。だから自分が成功することよりも人に喜ばれ、人の役に立ち、人のためになる生き方をしたいと思う。それがいつ死んでも後悔がない生き方だからだ。
もしあの時の自分のように苦しい思いをしている人がいれば、いや、あの時に僕に言ってあげたい。生きてさえいれば、絶対に良くなるし、いつかは生きていて良かった思う日が絶対に来る。僕が言うのだから間違いない。
2016/10/19
アイルランド音楽情報メルマガのご案内
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アイルランド音楽情報メルマガのご案内
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みなさん、こんにちは! ケルトの笛のhataoです。
2011年まで約10年間続いてきたアイルランド音楽情報専門の
メールマガジン「クラン・コラ」が、今月より復刊しました。
復刊号はこちらでご覧になれます。
全国のライブ情報だけあり、すごい情報量です。
http://melma.com/backnumber_00098839/
毎月10日に全国のアイリッシュのライブ情報などが掲載された
「情報編」が、20日にアイリッシュに関わる様々な方からの投稿
を集めた「読物編」が発行されます。
まぐまぐ!、またはMelma!で購読手続きができます(無料)。
まぐまぐ! http://www.mag2.com/m/0000063978.html
Melma! http://melma.com/backnumber_00098839/
明日が読物編の発行日になりますので、アイリッシュ・ファンの
方はぜひご登録ください。
以上、お知らせでした。
2016/10/10
音楽を誰から習うか
昨日は、関東から1日レッスンを受講するためにお客様が宝塚の自宅までお越しになりました。
1日レッスンは、遠方の受講生のために用意したプランで、朝10時から夜10時の12時間の間であれば練習し放題で受講料は15,000円です。90分ごとにお茶休憩をして、食事は2食まで提供します。僕が生徒の立場で考えたとき、先生を一人占めできるそんなレッスンが受けられたらよいなあと思って始めました。
このレッスンをこれまで長く続けていますが、遠くは沖縄県、北海道からわざわざお越しになる方もいらっしゃり、思った通り需要はあるようです。
僕のレッスンは、技術を習うのも曲を習うのも、可能な限り細かな要素に分解し、言語化・可視化し、体系だてて教えるスタイルです。楽譜は必要に応じて使いますが、練習時に楽譜を使おうと使わまいと最終的には楽譜なしで出来るようになるまで教え、練習してもらいます。
僕はこれまで何人ものアイルランド人の先生から笛のレッスンを受けましたが、みな例外なく楽譜を使わずに先生のすることをまねさせるスタイルでした。
まったくテクニックの説明や基礎練習をしないで、曲の中でそれを学ばせる先生が多かったです。テクニックについて質問しても、自分が何をしているのか指摘されるまで考えたこともなかった、という風な先生さえいました。この分野には聖典は存在せず、みなが独学なので、先生によって技術用語や方法が様々で初心者は混乱することも多いかと思います。
そのようなスタイルのレッスンを受けるのは僕は好きですが、僕が日本人を教える立場で同じことをすると、うまくいかないことが多かったです。やはり皆さん楽譜を欲しがりますし、技術や音楽知識を噛み砕いて丁寧に説明をすると満足する生徒さんが圧倒的に多いようです。
僕は言語学習が好きなので音楽と言語を結び付けて考えることがあるのですが、僕達が日本語を習得した赤ちゃんのころ、お母さんなりまわりの人が、こちらが理解していようがいまいが日常的に大量に日本語を聞かせていましたよね。僕たちはそうしてネイティブの日本語話者になりました。
ところが中学生になって英語を学習する過程においては、僕たちは教科書を使い、単語や文法や読解や作文やリスニングなど系統だてて体系的に言語を習いました。その結果どれほどの人が英語を習得できたでしょうか。この方法でネイティブレベルに到達するには途方もない時間と労力が必要になるため、学校の学習では到底足りません。
それらの細分化された要素をレンガのように積み重ねることによってネイティブに限りなく近づいてゆくことは可能ですが、学習を続けていると、どうしても越えられない壁があることにも気が付かされます。
例えばそれは文法や単語のミスというよりは、語彙の選択や間の撮り方や抑揚やタイミングといったもっと微妙なことなのかもしれません。外国人の日本語を僕たちが聴いても、こういった基準を持って、彼らがネイティブ話者なのか努力を重ねた外国語学習者なのかを瞬時にしかも正確に区別できます。この違いは、努力では簡単に埋まるものではありません。
「アイルランド音楽を習得したければ日本人に習うな」という言説を見たことがあります。その意味するところは、アイルランドに行って、アイルランド人から習ったり交流する中で学習した方が、おかしな癖や偏見がつかなくて良いということなのでしょう。
伝統音楽においては正統な装飾音、伝統的な音色、リズムが習得できているかどうかが非常に重要で、それは言葉や楽譜を尽くしても習得できません。
音楽も言語のように細かく刻んだ要素で断片的に習うよりも、まるごとの姿まま大量の音楽に触れるうちに、ネイティブの感覚を体得できるのかもしれないという考え方には僕は賛成します。僕達が日本語を母親から習得した時がそうでしたから。確かに、何年もアイルランドに暮らしながら音楽ができる環境が手に入るのであれば、そうしたら良いでしょう。僕もできればそうしたかった。
ですが、僕達大人の学習者、しかも日本に住んで日本語を使って生活をしている人にとっては、短期旅行でアイルランドに行く前に、日本で習えることを習ってからアイルランドに行くことの方が効果は大きいのではないかと思います。
日本人の先生といっても色々な志向やスタイルの方がいます。僕は楽器の操縦方を習得するために体系だてた学習メソードや合理的・論理的な教え方に強いですが、感覚的な教え方はできません。また、伝統や地域的なスタイルには弱いです。僕だけが最高の教え方だとは思っていませんので、ぜひ色々な先生に会い、話し、自分の要求に見合う先生からレッスンを受けてみてください。
1日レッスンは、遠方の受講生のために用意したプランで、朝10時から夜10時の12時間の間であれば練習し放題で受講料は15,000円です。90分ごとにお茶休憩をして、食事は2食まで提供します。僕が生徒の立場で考えたとき、先生を一人占めできるそんなレッスンが受けられたらよいなあと思って始めました。
このレッスンをこれまで長く続けていますが、遠くは沖縄県、北海道からわざわざお越しになる方もいらっしゃり、思った通り需要はあるようです。
僕のレッスンは、技術を習うのも曲を習うのも、可能な限り細かな要素に分解し、言語化・可視化し、体系だてて教えるスタイルです。楽譜は必要に応じて使いますが、練習時に楽譜を使おうと使わまいと最終的には楽譜なしで出来るようになるまで教え、練習してもらいます。
僕はこれまで何人ものアイルランド人の先生から笛のレッスンを受けましたが、みな例外なく楽譜を使わずに先生のすることをまねさせるスタイルでした。
まったくテクニックの説明や基礎練習をしないで、曲の中でそれを学ばせる先生が多かったです。テクニックについて質問しても、自分が何をしているのか指摘されるまで考えたこともなかった、という風な先生さえいました。この分野には聖典は存在せず、みなが独学なので、先生によって技術用語や方法が様々で初心者は混乱することも多いかと思います。
そのようなスタイルのレッスンを受けるのは僕は好きですが、僕が日本人を教える立場で同じことをすると、うまくいかないことが多かったです。やはり皆さん楽譜を欲しがりますし、技術や音楽知識を噛み砕いて丁寧に説明をすると満足する生徒さんが圧倒的に多いようです。
僕は言語学習が好きなので音楽と言語を結び付けて考えることがあるのですが、僕達が日本語を習得した赤ちゃんのころ、お母さんなりまわりの人が、こちらが理解していようがいまいが日常的に大量に日本語を聞かせていましたよね。僕たちはそうしてネイティブの日本語話者になりました。
ところが中学生になって英語を学習する過程においては、僕たちは教科書を使い、単語や文法や読解や作文やリスニングなど系統だてて体系的に言語を習いました。その結果どれほどの人が英語を習得できたでしょうか。この方法でネイティブレベルに到達するには途方もない時間と労力が必要になるため、学校の学習では到底足りません。
それらの細分化された要素をレンガのように積み重ねることによってネイティブに限りなく近づいてゆくことは可能ですが、学習を続けていると、どうしても越えられない壁があることにも気が付かされます。
例えばそれは文法や単語のミスというよりは、語彙の選択や間の撮り方や抑揚やタイミングといったもっと微妙なことなのかもしれません。外国人の日本語を僕たちが聴いても、こういった基準を持って、彼らがネイティブ話者なのか努力を重ねた外国語学習者なのかを瞬時にしかも正確に区別できます。この違いは、努力では簡単に埋まるものではありません。
「アイルランド音楽を習得したければ日本人に習うな」という言説を見たことがあります。その意味するところは、アイルランドに行って、アイルランド人から習ったり交流する中で学習した方が、おかしな癖や偏見がつかなくて良いということなのでしょう。
伝統音楽においては正統な装飾音、伝統的な音色、リズムが習得できているかどうかが非常に重要で、それは言葉や楽譜を尽くしても習得できません。
音楽も言語のように細かく刻んだ要素で断片的に習うよりも、まるごとの姿まま大量の音楽に触れるうちに、ネイティブの感覚を体得できるのかもしれないという考え方には僕は賛成します。僕達が日本語を母親から習得した時がそうでしたから。確かに、何年もアイルランドに暮らしながら音楽ができる環境が手に入るのであれば、そうしたら良いでしょう。僕もできればそうしたかった。
ですが、僕達大人の学習者、しかも日本に住んで日本語を使って生活をしている人にとっては、短期旅行でアイルランドに行く前に、日本で習えることを習ってからアイルランドに行くことの方が効果は大きいのではないかと思います。
日本人の先生といっても色々な志向やスタイルの方がいます。僕は楽器の操縦方を習得するために体系だてた学習メソードや合理的・論理的な教え方に強いですが、感覚的な教え方はできません。また、伝統や地域的なスタイルには弱いです。僕だけが最高の教え方だとは思っていませんので、ぜひ色々な先生に会い、話し、自分の要求に見合う先生からレッスンを受けてみてください。
2016/09/15
音楽家とお金
音楽家がどうやって収入を得て、生活を成り立たせているか、というのは一人の音楽家として大変に触れがたい話題だ。
音楽家は音楽を愛して、音楽のために人生を捧げている人種なのだから、お金儲けや日々の生活のことよりも自分の音楽をどう深めていくかに心血を注いでいる。そう、思われているフシもある。
世間は音楽家を僧侶か何かだと思っているのかもしれない。だから、夢を壊すようなことは言ってほしくない。音楽家もそれを敏感に感じ取って、あまり生活臭いことや生々しいことは言うのを避ける。
だけど現実問題、一人の社会人として生活していかなければならない。親にいつまでも頼っているわけにもいかないし、携帯も必要だ。楽器だってお金がかかる。年頃になれば結婚だってしたいし子供だって欲しい。
僕の音楽仲間で、「自分はお金儲けのために音楽をやっている」と放言した人がいた。 その割に全然稼げている様子はなかったけれど(笑)。
反対に、素晴らしい音楽をしているのにお金と潔癖でいたがっている人もいた。
あるいは、自分はO万円以下の謝礼の仕事は絶対に引き受けない、 という人もいた。生活費はアルバイトして稼いでも、音楽は自分だけのものでいたいという人がいれば、どんな屈辱的な仕事でもやるから、音楽以外の仕事は絶 対にしたくないという人もいた。色々な人がいるもんだ。
周りの音楽家を見ると、プロとして活動していても、この業界は全然食えないんだと、つくづく思う(改めて言うけれど、だからといってその人の音楽の価値とは別の問題だ)。
だからみんなレッスンをしたり、CDを売ったり、色々な収入を組み合わせてなんとか続けている。
食えない世界なのに、かたくなに演奏だけで生計を立てようとすると、歪みが出る。
ライブのお客様の顔が1000円札に見えると言った人もいた。ライブでの演奏の良し悪しよりも入場者数で一喜一憂する。ライブ当日に雨が降ると気分最悪に なる。ライブ会場で食事が出るかどうかを確認せずにはいられない。そうなると、現場が殺伐としてくる。表情に出るし音に出る。
昔、ある先輩音楽家が「あの人は商業主義で音楽をやっている」と他人のことを批判していたが、流行歌を演奏したからと言って稼げる金額など知れている。
ある人は、自分の生徒が他の先生と会ったというだけで無視したりいじわるをしたそうだ。そうやって生徒を囲い込んだって、レッスンできる生徒数には限界がある。 ほかにもライブのチャージバック率がどうとか、CDの販売手数料だとか。
限られた資源を奪い合おうとするから、そうやって気持ちのゆとりがなくなるんだ。
音楽家は演奏の技術や音楽の仕組みは習っても、お金の稼ぎ方は習わない。
だから、自分の能力をお金に変えるのが上手な人がいれば、下手な人もいるんだな。
お金が無いことは不自由だ。
一つはしたいことができないから。
もうひとつは、したくないことをしなければならないから。
僕はどちらもゴメンだ。
それに40歳や50歳にもなって、数千円で傷ついたり傷つけたりするのは大人としてみっともない。そんなことがしたかったんじゃない。
「プロミュージシャン」の定義が「演奏を主たる収入源とするもの」とするなら、それはすごく明快でいい。
だったら僕は必ずしも「プロミュージシャン」でなくてもいいと思う。素晴らしい音楽家ではありたいけれど。
そんなことより、自分が今一番したい音楽をして、ライブの主催者もお客様もハッピーになること。たとえ規模が小さくでも、そのサイクルを回してゆくことが幸せな音楽活動を続けることなんだと思っている。
だから、それを可能にしてくださっている主催者やお客様にはいつも感謝の気持ちを持っていたい。
小さなマーケットの中で、 誰が多く仕事を取ったとかどうとか考えるよりも、マーケットの規模を大きくしなきゃ。みんな食えてないなら、みんなが食えるにはどうしたらいいかを考えたい。
競争力よりも周りの人を応援できる力をつけたいと思うこの頃である。
音楽家は音楽を愛して、音楽のために人生を捧げている人種なのだから、お金儲けや日々の生活のことよりも自分の音楽をどう深めていくかに心血を注いでいる。そう、思われているフシもある。
世間は音楽家を僧侶か何かだと思っているのかもしれない。だから、夢を壊すようなことは言ってほしくない。音楽家もそれを敏感に感じ取って、あまり生活臭いことや生々しいことは言うのを避ける。
だけど現実問題、一人の社会人として生活していかなければならない。親にいつまでも頼っているわけにもいかないし、携帯も必要だ。楽器だってお金がかかる。年頃になれば結婚だってしたいし子供だって欲しい。
僕の音楽仲間で、「自分はお金儲けのために音楽をやっている」と放言した人がいた。 その割に全然稼げている様子はなかったけれど(笑)。
反対に、素晴らしい音楽をしているのにお金と潔癖でいたがっている人もいた。
あるいは、自分はO万円以下の謝礼の仕事は絶対に引き受けない、 という人もいた。生活費はアルバイトして稼いでも、音楽は自分だけのものでいたいという人がいれば、どんな屈辱的な仕事でもやるから、音楽以外の仕事は絶 対にしたくないという人もいた。色々な人がいるもんだ。
周りの音楽家を見ると、プロとして活動していても、この業界は全然食えないんだと、つくづく思う(改めて言うけれど、だからといってその人の音楽の価値とは別の問題だ)。
だからみんなレッスンをしたり、CDを売ったり、色々な収入を組み合わせてなんとか続けている。
食えない世界なのに、かたくなに演奏だけで生計を立てようとすると、歪みが出る。
ライブのお客様の顔が1000円札に見えると言った人もいた。ライブでの演奏の良し悪しよりも入場者数で一喜一憂する。ライブ当日に雨が降ると気分最悪に なる。ライブ会場で食事が出るかどうかを確認せずにはいられない。そうなると、現場が殺伐としてくる。表情に出るし音に出る。
昔、ある先輩音楽家が「あの人は商業主義で音楽をやっている」と他人のことを批判していたが、流行歌を演奏したからと言って稼げる金額など知れている。
ある人は、自分の生徒が他の先生と会ったというだけで無視したりいじわるをしたそうだ。そうやって生徒を囲い込んだって、レッスンできる生徒数には限界がある。 ほかにもライブのチャージバック率がどうとか、CDの販売手数料だとか。
限られた資源を奪い合おうとするから、そうやって気持ちのゆとりがなくなるんだ。
音楽家は演奏の技術や音楽の仕組みは習っても、お金の稼ぎ方は習わない。
だから、自分の能力をお金に変えるのが上手な人がいれば、下手な人もいるんだな。
お金が無いことは不自由だ。
一つはしたいことができないから。
もうひとつは、したくないことをしなければならないから。
僕はどちらもゴメンだ。
それに40歳や50歳にもなって、数千円で傷ついたり傷つけたりするのは大人としてみっともない。そんなことがしたかったんじゃない。
「プロミュージシャン」の定義が「演奏を主たる収入源とするもの」とするなら、それはすごく明快でいい。
だったら僕は必ずしも「プロミュージシャン」でなくてもいいと思う。素晴らしい音楽家ではありたいけれど。
そんなことより、自分が今一番したい音楽をして、ライブの主催者もお客様もハッピーになること。たとえ規模が小さくでも、そのサイクルを回してゆくことが幸せな音楽活動を続けることなんだと思っている。
だから、それを可能にしてくださっている主催者やお客様にはいつも感謝の気持ちを持っていたい。
小さなマーケットの中で、 誰が多く仕事を取ったとかどうとか考えるよりも、マーケットの規模を大きくしなきゃ。みんな食えてないなら、みんなが食えるにはどうしたらいいかを考えたい。
競争力よりも周りの人を応援できる力をつけたいと思うこの頃である。
2016/09/05
ティン・ホイッスルはオカリナのようになれるか
日々、ティン・ホイッスルやアイリッシュ・フルートなどのケルトの笛を日本に広める活動をしている。
僕は個人的な音楽の好みはケルト&北欧の伝統音楽に偏っていて、 それ以外聴くことはほとんどない。演奏の方面でも、ポップスやクラシックや映画音楽をケルトの笛で吹きたいとは全然思わない。
しかしケルトの笛屋さんを経営するにあたって、楽器というのは単なる道具なのだから、僕の個人的な音楽の嗜好を押しだすと、返ってこの笛の用途を狭めて、お客様を縛ってしまうことを危惧した。
例えばリコーダーが最も華々しくその性能を発揮するのは古楽だし、ティン・ホイッスルが一番魅力的に聞かせられるのは伝統音楽だ。そして、それらの音楽を演奏するために練習している人が最も多いだろう。それは事実なのだから、笛屋さんでは伝統音楽の普及というソフト面にも力を入れている。たとえば無料の楽譜ダウンロードや、CDや国内外の演奏者の紹介だ。
だがティン・ホイッスルを吹きたい人は、伝統音楽愛好家だけではない。映画音楽やアニメやゲームを通じて出会う人も多いし、クラシック音楽を背景に持つ方が吹くケースも多い。だから、色々な使われ方があっていいと思うし、むしろそのほうが楽しい。
伝統音楽がマイナージャンルな日本においてこの楽器を普及させるには、伝統音楽だけではない魅力や楽しみ方を発信することが必要だ。
だから、僕はフルートやリコーダーの世界に顔を出し、その楽しみ方を学んできた。「ケルハモ」は、伝統音楽に壁を感じているクラシックやアンサンブル経験者にも入りやすい、世界にはまだない試みだと自負している。
※ケルハモ…ティン・ホイッスル(またはリコーダー)による、合奏曲の楽譜の製作販売。
https://celtnofue.com/store/cellhamo/celhamo-about.html
先日、オカリナの通販では国内最大手と思えるテレマン楽器を訪問し、国内のオカリナ愛好家のことや楽器販売の成功の秘訣を伺った。オカリナの成功方法はティン・ホイッスルでは同じように使えるわけではない。
オカリナとティン・ホイッスルとで状況が違うのは、 以下4点だ。
(1)年齢層
(2)プロ・プレイヤーの数とアマチュアの層の広さ
(3)フェスティバルで発表する文化。
(4)国内メーカーの豊富さと品質の高さ
オカリナは中高年が多く、ティン・ホイッスルは、それに比べると若い人や学生が多い。
プロ奏者やスタープレーヤーが少なく、個人で楽しみ、セッションにも参加しない人が大半だ。
何しろオカリナには、フルートやリコーダーと同じ、同種楽器での合奏の文化がある。そして、伝統音楽やクラシックなどの特定の音楽的な背景がないために、むしろどんな音楽でも楽しめる。
音域はやや狭いがすべての半音階が出るので、ポップスやジャズやクラシックなどジャンルの対応範囲が広い。その上、リコーダーやフルートに比べて手軽に楽しめる印象がある。楽器の値段も、全体的には安い。
僕は個人的にはオカリナの音色はピュアすぎて面白味に欠けるし、歴史や文化的な背景がない音楽には興味が持てないのだけど、音程が自在に操れて歌声のような人間味があり日本人の感性には良く合うのは良く分かる。
僕はティン・ホイッスルに楽器としての魅力や可能性を感じているので、どんな形であれこの楽器が
多くの人に親しまれて欲しいと思っている。楽器はすでに充分に性能が良いものが出ているので、オカリナのように広がるためには、魅力的な演奏者の登場、魅力的な楽曲、魅力的な楽しみ方が不可欠だ。先日の豊田耕三君のアイルランドのコンペティション入賞が象徴するように世界に通用する日本人演奏家がいることは素晴らしいことだと思うし、アイリッシュに限らず、この楽器を魅力的に演奏する日本人奏者がもっともっと続いてほしいと願っている。そして、応援もしたい。
また、アメリカのように世界に通用する国産ティン・ホイッスル工房がどんどん出現してほしいが、それはまず日本国内の市場が大きくならないといけないのだろう。
イタリアで生まれたオカリナが日本で独自の発展を遂げ、日本ならではの楽しみ方がされているように、伝統音楽が背景にあるティン・ホイッスルも、その枠を超えて日本独特の形で日本人に愛されることを願い、これからも普及に力を注いでゆきたい。
僕は個人的な音楽の好みはケルト&北欧の伝統音楽に偏っていて、 それ以外聴くことはほとんどない。演奏の方面でも、ポップスやクラシックや映画音楽をケルトの笛で吹きたいとは全然思わない。
しかしケルトの笛屋さんを経営するにあたって、楽器というのは単なる道具なのだから、僕の個人的な音楽の嗜好を押しだすと、返ってこの笛の用途を狭めて、お客様を縛ってしまうことを危惧した。
例えばリコーダーが最も華々しくその性能を発揮するのは古楽だし、ティン・ホイッスルが一番魅力的に聞かせられるのは伝統音楽だ。そして、それらの音楽を演奏するために練習している人が最も多いだろう。それは事実なのだから、笛屋さんでは伝統音楽の普及というソフト面にも力を入れている。たとえば無料の楽譜ダウンロードや、CDや国内外の演奏者の紹介だ。
だがティン・ホイッスルを吹きたい人は、伝統音楽愛好家だけではない。映画音楽やアニメやゲームを通じて出会う人も多いし、クラシック音楽を背景に持つ方が吹くケースも多い。だから、色々な使われ方があっていいと思うし、むしろそのほうが楽しい。
伝統音楽がマイナージャンルな日本においてこの楽器を普及させるには、伝統音楽だけではない魅力や楽しみ方を発信することが必要だ。
だから、僕はフルートやリコーダーの世界に顔を出し、その楽しみ方を学んできた。「ケルハモ」は、伝統音楽に壁を感じているクラシックやアンサンブル経験者にも入りやすい、世界にはまだない試みだと自負している。
※ケルハモ…ティン・ホイッスル(またはリコーダー)による、合奏曲の楽譜の製作販売。
https://celtnofue.com/store/cellhamo/celhamo-about.html
先日、オカリナの通販では国内最大手と思えるテレマン楽器を訪問し、国内のオカリナ愛好家のことや楽器販売の成功の秘訣を伺った。オカリナの成功方法はティン・ホイッスルでは同じように使えるわけではない。
オカリナとティン・ホイッスルとで状況が違うのは、 以下4点だ。
(1)年齢層
(2)プロ・プレイヤーの数とアマチュアの層の広さ
(3)フェスティバルで発表する文化。
(4)国内メーカーの豊富さと品質の高さ
オカリナは中高年が多く、ティン・ホイッスルは、それに比べると若い人や学生が多い。
プロ奏者やスタープレーヤーが少なく、個人で楽しみ、セッションにも参加しない人が大半だ。
何しろオカリナには、フルートやリコーダーと同じ、同種楽器での合奏の文化がある。そして、伝統音楽やクラシックなどの特定の音楽的な背景がないために、むしろどんな音楽でも楽しめる。
音域はやや狭いがすべての半音階が出るので、ポップスやジャズやクラシックなどジャンルの対応範囲が広い。その上、リコーダーやフルートに比べて手軽に楽しめる印象がある。楽器の値段も、全体的には安い。
僕は個人的にはオカリナの音色はピュアすぎて面白味に欠けるし、歴史や文化的な背景がない音楽には興味が持てないのだけど、音程が自在に操れて歌声のような人間味があり日本人の感性には良く合うのは良く分かる。
僕はティン・ホイッスルに楽器としての魅力や可能性を感じているので、どんな形であれこの楽器が
多くの人に親しまれて欲しいと思っている。楽器はすでに充分に性能が良いものが出ているので、オカリナのように広がるためには、魅力的な演奏者の登場、魅力的な楽曲、魅力的な楽しみ方が不可欠だ。先日の豊田耕三君のアイルランドのコンペティション入賞が象徴するように世界に通用する日本人演奏家がいることは素晴らしいことだと思うし、アイリッシュに限らず、この楽器を魅力的に演奏する日本人奏者がもっともっと続いてほしいと願っている。そして、応援もしたい。
また、アメリカのように世界に通用する国産ティン・ホイッスル工房がどんどん出現してほしいが、それはまず日本国内の市場が大きくならないといけないのだろう。
イタリアで生まれたオカリナが日本で独自の発展を遂げ、日本ならではの楽しみ方がされているように、伝統音楽が背景にあるティン・ホイッスルも、その枠を超えて日本独特の形で日本人に愛されることを願い、これからも普及に力を注いでゆきたい。