タイに来て9日が経ちました。あと残すところ4日になり、執筆のペースを上げなくてはとちょっと焦りが出てきました。
僕の好きな作家の本田健さんがよく、「人にやるなと言われてもやってしまうこと」「何時間やっていても飽きないこと」「人の作品を見て僕だったらこうするのになって思うこと」があなたのライフワークになる可能性があります、と言っています。
僕の場合、ケルトや北欧音楽の、特に笛文化について調べたり、書いたり、聴いたり、演奏したり、教えたり、楽器を集めたり、人に紹介したりすることなのですが、その中でも普段やりたくてもできないことがあります。
それは、「調べたり、書いたり、聴いたり」というところです。
毎日の生活や仕事に追われて時間が取れないのですが、音楽を調べたり聴いたりすることも、楽しいし、インプットという点でもとても大事だと思っています。
今回タイに来て、シャワーを浴びたり、洗濯や部屋の掃除をしたり、食事や買い物をする以外はすべて執筆できるという、まさに缶詰状態を初めて経験しました。
気晴らしにプールで30分泳いで、フルートを30分吹く以外はすべてパソコンに向かっているので、1日12時間は執筆していると思います。こんな時間を取ることは、日本で2週間すべての仕事をオフにして家にいても、不可能だったと思いますから(家だとついつい気が逸れるので)、タイまではるばる来て本当に良かったです。
おかげで一日中音楽を聴いて、普段調べたかったのにできなかったことをゆっくり調べられて、心から幸せで楽しいです。
それと同時に、好きなこと「だけ」をやり続けるのは苦しいものだなというのもわかりました。僕の場合、本当に好きなので、飽きたり、いやになったりすることはありません。
目が覚めたら自然とパソコンに向かいますし、疲れていて横になっても先が気になってすぐ戻ってしまいます。まさに、やるなと言われてもやってしまう状態です。好きでやっているのだから、ストレスはありません。でも、調べるほど深みにはまっていき、終わりがないというのは、苦しいものです。
今回はアイリッシュ・フルートの本を書いているのですが、今回は出版社に依頼されたわけではなく、持ち込むわけでもなく、完全に自費出版です。初期投資の経費は持ち出しです。
ですが、アイリッシュ・フルートの存在感が年々高まっているこのごろ、自分が出さなくては、たぶんこの先誰も出さないように思います。これまで出すチャンスはあったのに誰も書かなかったことを思えば。
それに、自分が、それをするのに一番適役だと思ってもいます。それは自分が演奏家や教師として一番優れているからなどというわけではもちろんなく、英文が苦にならず、音楽のことを調べたり書いたりすることが好きなフルーティストが少ないだろうということです。これは、演奏家や教師とは別の才能です。
今回の本は、すでに英文で4冊出ているアイリッシュ・フルート教本のまとめのような内容になります。というのも、どれもそれぞれに良いのですが、それを統一した日本語の本があれば最も良いと考えていたからです。つまり、決定版というわけです。何か先行の研究や発表があるのであれば、それをすべて読み込んで踏襲して、最後に自分がそれよりも優れていると思う何かを足すのは、当たり前ではありませんか?
僕が書いたティン・ホイッスル教本は、ありがたいことにロング・セラーとなりましたが、この本が売れるかどうかは、僕にはわかりません。ですが、日本でアイリッシュ・フルートがもっと知られるようになってほしいし、その価値が絶対ある楽器だと信じています。
この本を読んで、誰かがアイリッシュ・フルートを始めて、すごくいいプレーヤーになって、僕にいい音楽を聴かせてくれれば、赤字でもまあいいやと思います。
そして、一度出版されさえすれば、僕が死んでからも、22世紀でも誰かの役に立つのです。
だから、これが出版されるまでは何があっても死ねないなと思うので、早く完成させなくてはいけません(死なないけど)。
ちなみにヴァカンスですが、こうやって1年に真冬の1ヶ月は東南アジアで執筆したり作品を作って、真夏の1ヶ月はヨーロッパで音楽の調査や修行をする、というのを毎年のサイクルにできればどんなに良いだろうかと思います。そして、そう思ったのなら、たぶん遠くない将来、そうできるようになります。
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