2016/04/20

楽譜を使わないで音楽を教える/習うことについて

ヴァイオリニストとフィドラーの違いを説明した傑作のジョークをご存知でしょうか。

いつくもある中でもお気に入りは、「楽譜がないと弾けないのがヴァイオリニスト、楽譜があると弾けないのがフィドラー」です。

ヴァイオリニストとフィドラーは同じ楽器を使っているのに、彼らは全然違う。そこがジョークになるんですね。

フィドラーが楽譜を使わないとはいっても、ヴァイオリニストが暗譜で演奏するのとは、同じ「楽譜を見ないで演奏する」でも根本的に違います。

そもそも伝統音楽には楽譜という概念がありません。それは、単純に楽譜に書くことが不可能だからです。伝統音楽には旋律の骨組みしかなく、メロディの詳細は決まっていないので、実体がないオバケのようです。装飾や歌い方が奏者に任されているだけでなく、基本となるメロディですら人によって異なります。ですから楽譜に書いた途端に、それは実態とはかけはなれたものになるのです。

例えば販売されているアイリッシュの楽譜によくあるのですが、同じメロディが2小節ごとに繰り返すようなパターンの曲の場合、それをちょっと違った風に書いたりします。「ソソソ」を2回目は「ソラソ」にしたり「ソーソ」にしたり。クラシックに馴染んでいる人は、曲を覚える時にその通りに覚えようとするのですね。すると情報量が多くなってなかなか覚えられません。

また、ある楽譜を使って覚えたのに、同じ曲が別の楽譜では違った風に書かれていて、混乱してしまう。これらの例の正解は、両方とも「どれでもいい」です。

アイリッシュの楽譜を使う場合には、知っておかなければならない「お約束」があるんです。これについては、おそらく英語の文献でも書かれていないので、いつか教本に書きたいと思っているネタです。

楽譜を使ってレッスンをしたり曲を覚えることには賛否あります。アイルランドでも、五線譜ではなくABCという記述法でレッスンで楽譜を使うことがあります。
楽譜がないと覚えられない人もいれば、楽譜があるとかえって覚えられない人もいます。最終的には、きちんと曲を覚えて上手く演奏できれば、経過はどんな方法でも構わないと思います。伝統音楽において「その曲が演奏できる」こととは、どういうことなのかを知っていて、それに向かって努力をすれば良いのです。

では「その曲が演奏できる」とはどういうことか。それは、曲の和声感、リズム感、フレーズ感を理解して、その曲の魅力を最大限引き出すことができるということです。それには「メロディの崩し」や「変奏」も含まれるかもしれません。単にメロデイを覚えている、というのはスタート地点なわけです。それを思えば「楽譜を見て弾ける」といのは弾けるうちに入らず、スタート地点にすら立っていないわけです。そして、その曲を正しく理解するのに一番良い方法については、「よい演奏を聴く」に勝るものはありません。

レッスンにおいて、先生が生徒に楽譜を見ずに曲を繰り返し演奏して真似させて覚えさせるのは、アイルランドのレッスンでは一般的です。僕も採用することがあります。この方法のメリットは、「筋肉の記憶」つまり長期記憶なので長く定着しやすく忘れにくいこと、そして、メロディを覚えているつもりで、実は音色、曲のイメージ、フレージング、装飾音、変奏など多くの情報を伝達することができる点です。しかし、この伝統的で支持されている方法に対してあえて言いますが、僕は非効率的だと思います。多くの生徒は曲を覚えるのに必死で、先生が伝えたいもっと高いレベルを理解する段階に到達しないままレッスンが終わります。最悪、レッスン時間中に曲を覚えきれません。

ですから、レッスンに望む前に生徒は自分がどの曲をそのレッスンで習うのかを把握し、最低でも暗譜してからレッスンを受けるのが良いでしょう。暗譜の方法は、繰り返しになりますが、耳から覚えようと、楽譜を補助的に使おうと、なんでも構いません。僕自身は、レッスンの最後に次回教える曲を生徒に動画を撮影させて、見て覚えてもらうようにしています。スタート地点に立った段階でレッスンに臨み、その曲の演奏方法を習うことが理想です。家でできることは、家でやりましょう、ということです。

クラシックのレッスンでもそうなのですが、レッスン中に練習してもお互いに時間の無駄です。これは、レッスンの最低限のマナーと言ってもいいかもしれません。生徒が、レッスンの時間が楽しければ弾けるようにならなくてもいいと思っているのであれば、そして生徒と教師の間で金銭の授受を通して需給関係が成立していれば、そのようなレッスンは誰に非難されるものでもありません。

ですが、もし本気で伝統音楽を自分のものにしたいのであれば、レッスンのやり方を変えてみてはどうでしょうか?

最後に。

僕のレッスンでは、現在のところ生徒に暗譜で演奏することは奨励はしていますが、強制はしません。音楽の楽しみ方はひとそれぞれですし、誰もがパブセッションをしたいわけでもないでしょう。僕は仕事として音楽を教えているので、生徒がレッスンに満足であれば、僕はそれで良いと思っています。ですが、このような話は繰り返しして前提として知っていただいていますし、本気で学びたい人で見込みがある生徒であれば、やり方を変えて対応しています。そして、もしですが、僕が余命3年しかない、という病気にかかったとしたら、レッスンまでに曲を覚えてこない生徒については他の先生を紹介して、本気でこの音楽をものにしたいと思う生徒だけ教えるつもりです。

ここ数年、自分の意思をつぐ音楽教師や演奏家を育てたいと思ってきましたが、なかなか難しいのが実情です。自分の教師としての資質、生徒の資質、他にも色々な条件がありますが、自分の元から優れた教師や演奏家が育って欲しいですし、自分の時間が限られていますから、そのような人により多くの時間とエネルギーを割り当てたいと思うこの頃です。

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