CDが昔ほど売れなくなったそうだ。
それでも、日本はCDがまだ売れている方で、欧州のミュージシャンに話を聞くと、あちらではもう誰も買わないなんて言っている。代わりにSportifyという定額で聞き放題のサービスがあるので、聞きたい音楽があればまずSportifyで探して、そこに出ていないローカルミュージシャンのCDを買うようだ。
中国では、Xiamiというサービスがある。こちらは建前上は、ミュージシャンがプロモーションのために音楽を無料で提供してリスナーに楽しんでもらい、ライブに足を運んでもらうことで成り立つというが、実際にはリスナーによる違法なアップロードが多い。中国では違法ダウンロード・サイトも多いので、こちらでも誰もCDを買わない、なんて聞いた。
日本にはこれらのサービスはないけれど、Apple musicやGoogle play musicなどもあるし、今後はますますCDが売れなくなるだろう。音楽を作る立場としては、どのように音楽をリスナーに届けるかをそろそろ考えなくてはいけないのだけど、日本ではあまり新しい方法が出てきていないようだ。
森博嗣の「作家の収支」 という本で読んだのだけど、本には再販制度というものがあり、小売業者は本の定価より安く売ってはいけないことになっている。本の流通の仕組みは独特で、それについてはここでは書かないけれど、本の値段は、傑作だからとかコストがかかったからというのと関係なく、だいたい同じ水準の値段になる。新書や文庫で1冊10,000円とか、ないでしょう?
かつてはマス(大衆)消費だったので、安い価格でも、多くの人に買ってもらうことで多くの利益を得られた。でも、今はミリオンセラーが出にくい時代と言われ、好みが多様化し、マーケットがニッチになった。その変わり、電子書籍が出てきて、自分の売りたい価格で、消費者とじかにつながれることができるようになった、という話だ。電子書籍であれば流通コストはかからないし、そうなれば、たとえば10,000円の小説を100人の読者相手に売る、というのでも仕事が成立するかもしれない。
実はCDにも本と同じ再販制度があり、だいたいの価格の水準がある。アルバムだったら2000~3000円の幅か。価格をつける時には、微妙な100円単位の違いに迷う。知人がCDを3000円で出すと、「強気だね、自分は無理」なんて思ってしまうし、かといって2000円だと自分を安売りしている気持ちになる。
この値段設定には、コストや利益を織り込んでいるけれど、2人だけで作ったCDが2000円だとしても、5人で作ったら5000円になるかというと、そんなに単純にはいかない。ゲストをたくさん入れようが、ブックレットが豪華だろうが、「常識的な価格」を越えた価格設定は難しい。
売り手の論理としては、そんなに販売数が見込めないなら価格を高くしたいと思うけれど、消費者にとってはそんなのは関係がない。安いほど買いやすいのだ。
だから、最近のCDはどんどん簡素になっている。ペラペラの紙ジャケ、ブックレットなしなんて当たり前だ。コストを下げるほど利益率が上がり、すぐに初期投資を回収でき、活動を続けやすくなる。もはや、豪華なCDを作るのは作り手の自己満足のような気すらする。そもそも、「豪華なCD」は音楽のクオリティとは関係がないのだが……。
僕たちインディーズは、最初から流通での販売には多くの期待はしていない。売上の大半はファンへの直販かライブ会場での手売りだろう。だったら、もうマスの流通は頼りにしないで、もっと柔軟な方法も考えてみたい。最近はデータのみでの販売とか、CDを作る前に資金を集めるクラウドファウンディングなんていうやり方を採用する人もいる。
正直なところ、世の中に音楽はもう有り余っている。音楽が多すぎて、聴くのが追い付かない。それでもCDを買うのは、「必要だから」ではなく、ミュージシャンへの期待と応援の気持ちからだ。
CDを買うのもライブに行くのも、ミュージシャンにお金を支払うことは、期待と応援が形になったものだと思う。音楽家の活動を支援して、活動が継続できるようにし、これから先も良い音楽を作って楽しませてもらいたいから。
音楽を記録したり流通させたりする技術がなかった時代、地域の音楽家は地域のファンに支えられて活動をしていたのだろう。いろいろなツールが手に入るこの時代は、ニッチな音楽であっても、そのつながりを全国に、世界に広げることで、活動をつづけてゆくことができる。
インディーズで活動していると、ファンとのつながりをリアルに感じられる。応援してもらっているんだ、とひしひしと感じる。そんな顔の見えるファンとのつながりを増やし、関係を大切に育てて、よい形で音楽を届け、活動を続けられるようにしたいと思う。
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